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海望130年ストーリー

創業130年記念

130th Story

海望130年ストーリー

お客様のエピソードと紡ぐ、
歴史の物語

2020年10月 当館は創業130年を迎えます

明治23年の開業以来、地域の方々をはじめ、全国のお客様に御贔屓に預かり、皆様のお力添えで成長させて戴きました。「能登は優しや土までも」と言われておりますように、能登は住む人々が深い絆で結ばれている暖かい土地です。当館での御滞在が、和やかなくつろぎの場、やすらぎの場として、お役に立てておりますならば、私共にとりまして、この上ない喜びでございます。まだまだ行き届きませんが、この大きな節目を機に、更なる「おもてなし」の向上に向け、精進して参る所存でございます。何卒今後ともご支援、ご愛顧賜りますようお願い申し上げます。 この度実施させて戴きました、『海望にまつわるエピソード』の募集企画では、お客様よりたくさんのご応募を戴きました。人と人とのつながりから生まれた大切な思い出や思いやりが綴られたエピソードは、ひとつひとつが、130年の時を経て、紡がれてきた海望の歴史そのもののように感じております。 皆様のエピソードで紡ぐ『海望130年ストーリー』を、どうぞゆっくりとご覧くださいませ。

代表取締役社長 田中 道夫

開業より130年 歴史のはじまりは、海望館から

明治23年1890

海望館

明治23年(1890)初代田中タケがホテル海望の原点である鉱泉湯宿海望館を開業。現在の弁天崎公園付近にあった。当時の旅館街は温泉を遠くへ送る技術が発達していなかったため、湯元周辺に宿が集中していた。二階建ての建物で、創業当時の海に面する客室にはそれぞれ日除けがついていた。木造屋敷の頃の一部が旧鹿島町に移築されていたが、今は取り壊されている。 大正12年(1923)に8部屋を増築。
  • 明治23年 海望館の写真
  • 明治23年 海望館の写真
  • 明治23年 海望館の写真
昭和5年1930

田中秀一が家業を継ぎ、女将は与志子が務める

昭和16年1941

太平洋戦争

戦況悪化により、国からの要請で、塩作りと海軍療養地になることが課せられ、傷痍軍人は当時20あった旅館にそれぞれ割り振られた。
昭和32年1957

日本観光旅館連盟会員となる

昭和42年1967

ホテル海望

昭和42年(1967)田中三郎、節子が現ホテル海望を開業。味覚とまごころのおもてなしをモットーに、地域の方々からご愛顧をいただいた。昭和50年頃から平成初期まで、毎年冬の時期に、その年の干支が彫られたぐい呑をお配りしていた。 当時、新館ホテル海望を主として、シーズンによっては海望館も営業していた。その頃から務める仲居さん曰く、海望館とホテル海望を行き来することがあり、海望館にはエレベーターがついていなかった故に、食事の配膳や御膳下げなど、階段の上り下りがとても大変だったそうだ。
昭和42年 ホテル海望の写真
昭和44年1969

政府登録国際観光旅館となる

昭和45年1970

お客様のエピソード

かつて私はバスの乗務員をしていました。和倉泊まりがあると、よく「海望館」でお世話になり、着くと我が家のような気分になりました。仕事が終わり、玄関先で「こんにちは」というと、客室係のハルちゃんが飛んできて「あら、先生いらっしゃいませ」と部屋へ案内して下さいました。そして、私を「先生、先生」と連続で呼ぶのです。私は後輩の指導にも当たっていましたが、大げさなものではなく恥ずかしさいっぱいでした。しかし、悪い気もしませんでした。(77歳 女性) お客様のエピソード
昭和47年1972

万来閣を増築

昭和48年1973

(株)ホテル海望に改組

昭和54年1979

海望館閉館

ホテル海望に一本化
昭和55年1980

お客様のエピソード

先代女将さんの思い出。美人は何処でも、その振る舞い方が綺麗でした。約40年前、私は電車で金沢駅に着き、改札口へ向かおうとして階段を降りている時、美人の噂高い先代女将さんから声を掛けられました。夏なのに、絽の着物を着て、僕に、「お出かけご苦労様」「いつも有難う、呉々もお気を付けて」この他愛もない言葉が疲れている私に元気を与えてくれました。私も「有難う御座います」と返事、20年年上の女性ですが、その歩く後ろ姿を見て、思わず、「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の華」を思い出し、これでは皆、又、海望へ女将さんに逢いにいくわ。との思い出です。(71歳 男性) お客様のエピソード
昭和57年1982

白鵬殿を増築

海に面した10階建てで、船に乗っているような絶景も楽しめる。
昭和58年1983

3代目 代表取締役 田中三郎就任 女将は節子

節子女将はこれぞ旅館の女将と言われんばかりの肝っ玉で、明るい性格だった。そのため、地域の人からは「海望のせっちゃん」と呼ばれて親しまれていた。

お客様のエピソード

ホテル海望 百三十年の重み。一九八三年(昭和五十八年)春 穴水駅長室内でのこと、どこか上品な夫人が「駅長さん、うちの子は穴水出身なんで又よろしくね」と挨拶した。後で副駅長に聞くと「あの人は和倉温泉ホテル海望の女将さんで、若女将のことを言うとったんやわ」「そうか、そのうち団体旅行でいかんとならんね」と話し合った。まだ国鉄団体旅行列車の華やかなりし頃、能登線、七尾線内の各駅長所在駅が競って、団体列車旅行を計画する頃だった。和倉温泉ではホテル海望の料理も旨いし、若女将も良いと評判で利用することも多くなり、現在でもJR関連の客も多いと聞いている。観光業なら人の絆も大事なことだと思うのである。鉄道を退職した今でも同窓会にホテル海望を利用したり、後で会員からいってきてよかったぞと聞けば世話をした甲斐があったというものだ。元はと言えば、先代女将の一言がいまだに続いているのだなぁと憶うことしきりで、これでこそホテル海望の歴史百三十年、一端の重みであろう。(83歳 男性) お客様のエピソード
昭和60年1985

お客様のエピソード

七尾湾の穏やかな包まれるような海の風景と海望でのおもてなしは、「能登は優しや土までも」の言葉通り、家族の絆をより深めてくれました。浴衣姿で七尾湾を背に皆で撮った記念写真は35年経った今でも色あせることなく心に鮮やかに蘇ります。今は亡き両親は、あの七尾湾の蒼い海と繋がる空から、今も私達家族を見守ってくれています。そう思えるのも、海望での旅の思い出のおかげです。(64歳 女性)
平成元年1989

4代目 代表取締役 田中道夫就任 若女将は美智子

平成2年1990

今のフロント・ロビーに当たる
中央棟を増築

平成9年1997

瑞仙を増築

海に面した8階建で、男女大浴場、露天風呂も同時に開設する。男性大浴場からは海の中に浮かんでいるような風景を楽しめ、2階にある女性大浴場からは海鳥の目線になって、広がる風景を開放的に見下ろせる。平成16年(2004)~平成18年(2006)の間に、お部屋でよりゆったりとお風呂と風景を楽しめる、露天風呂客室を合計8室開設する。
瑞仙 イメージ
平成23年2011

東日本大震災

平成26年2014

スタッフのエピソード

白鵬殿の1015号室の部屋食の係になった時の事です。東日本大震災後、3年位たった頃です。福島県からの御夫婦で朝食の片付け時にふと箸袋に能登の海鳥の歌詞があるのに気づき私に歌って欲しいと頼まれ生オケで歌ったら奥様が何かを思い出したのか、ポロッと涙ぐみ旅の記念になりました。いい歌をありがとうございました、と箸袋を持って帰られました。(客室係(仲居さん) 女性)
平成27年2015

北陸新幹線開業

長期インターンの受け入れを開始する。 平成27年(2015)~平成29年(2017)にかけて半個室タイプの食事処を4箇所開設。
瑞仙 イメージ

スタッフのエピソード

入社5年になり、最初は、仕事に慣れるまで大変でした。それから段々仕事にも慣れて来て、お客様とも打ち解けて、毎日が楽しくなり、指名して下さったお客様や泊りに来て下さったお客様3〜4人とたまに今でも連絡をとり、お付き合いをさせていただいております。そのお客様は忙しいお盆休みにお孫さんを連れていらしての滞在でした。お部屋でお食事出しで、暑くて、私は勿論幾度なくお断りしましたが、お膳で人数も多かったこともあり、少しお手伝いをしてくれました。そのおかげで、食事の支度が早くできました。もしかしたらお客様も、お孫さんが泳ぎに行くとかで、お腹が空いていたのか、何度も何度もありがとうと言ってくれました。ありがとうって最高の響きですね。本当ににぎやかで楽しいお客様でした。私は父が幼い頃に他界してますから家族旅行が羨ましいです。(客室係(仲居さん) 女性)
平成28年2016

お客様のエピソード

ホテル海望には結婚前から何度か行ったことがあり、息子が1歳になった頃、県内の温泉に行きたい!と思いお邪魔しました。あの頃はまだよちよち歩きの息子。あちこち行ってしまい大変でした。息子は温泉に行くのは初めてで大きなお風呂に大興奮していたのを覚えています。受付の方や部屋まで案内していただいた仲居さん、従業員の皆さんが息子に「可愛いね~」と可愛がってくださったのをとても嬉しく思います。あれから4年経ち、息子も今年で5歳です。男兄弟3人になり、5人家族になりました。長男とあって弟2人の面倒もしっかりみてくれています。(30歳 女性)

お客様のエピソード

お客様のエピソード

友人と2016年の能登和倉万葉の里フルマラソンに参加した時のことです。人生で2回目のフルマラソンでやっとやっと完走できたのですが、泊まっていた宿まで距離があり、でも足が痛くて歩くことが出来ず、天候も悪くなってきたため、タクシーを呼ぶことにしました。でも空いているタクシーが通らない。ちょうど海望さんの前を歩いていて、海望さんのフロントでタクシーを呼んでもらおうと思い、声をかけさせていただきました。店員さんは快く要望を受けてくださりました。しかし、タクシーは混んでいてなかなか手配するのに時間がかかるとのこと。すると「タクシー混んでて時間がかかるようなので、お泊まりになられている宿まで送りますよ」と海望の店員さん。「お疲れ様でした。寒かったですし、大変だったでしょうに」と私たちに労いの言葉をくださり、宿泊していた宿まで送ってくださりました。お礼に代金を払おうとしましたが、「お代はいりません。次お越しになる時はぜひ海望に来てくださいね」と笑顔で話されました。「絶対泊まりに行きますね」と店員さんと約束させていただきました。心身ともに疲れ果てていた私たちでしたが、海望さんの優しさに救われ、ほっこりさせてもらいました。(29歳 女性)
平成31年/令和元年2019

NAGISA DINING開設

お客様のエピソード

昨年夏、当時富山県に住んでいた彼と久しぶりのデートで訪れました。夏の日差しで輝いている水面を見ながら能登島大橋を渡ったことや、窓から海を眺め、波の音に癒されたこと、夕食のときに『奥さま』はいかがされますか?と聞かれて密かに照れくさい気持ちになったことが思い出されます。また、朝食会場では海側の席を用意していただき、能登の食材をバイキング形式でゆっくりと楽しむことが出来ました。コロナにより生活様式が大きく変化しているなか、その彼と入籍することとなりました。盛大な結婚式も海外旅行も諦めることとなりましたが、思い出の海望へ一年ぶりに泊まりに行こうと話しています。(27歳 女性) お客様のエピソード

お客様のエピソード

遠距離恋愛をして3年半の彼女に内緒で計画した旅行の際に宿泊しました。この時計画していたのはプロポーズで、いい景色と温泉、ご飯が楽しめるお宿を探していたところホテル海望さんに行き着きました。当日は夕刻から生憎の雨模様であったものの、仲居さんの親切な対応と美味しい料理、景色の良い温泉に満足して、緊張しつつもプロポーズを成功させることが出来ました。今では妻となり同居しています。「次は晴れた日に」。是非また行きたいお宿のひとつです。(24歳 男性)
令和2年2020

お客様のエピソード

高校時代からの友人と二人で宿泊しました。泊まったのは令和二年二月二十二日のゾロ目の日でした。ちょうどコロナで自粛する前で、石川県で最初の感染者が出たばかりの時期だったと思います。チェックインしたときは、あいにく、少し歩いただけで、ずぶ濡れになってしまうほど土砂降りで、外には出ずに部屋でゆっくりお喋りして過ごしていました。天気が悪く折角の景色もどんより曇り空で、はじめは少し残念に思っていましたが、ふと外の景色を見るとたまたま虹が見えたので、なんだか晴れているときよりも、きれいな景色を見れたような気がして、喜ばしい気持ちに変わりました。夕食の時は仲居さんが料理のことを色々と教えてくださったのですが、話が面白くて、楽しい夕食になりました。(26歳 女性)
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海望は皆様の思い出とともに これからも時を重ねてまいります Customer and future together

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